おはようございます。今週のテーマは、止めようとした人に何が起きたかです。
第1週は引き金を引いた現場を、第2週はその引き金を設計した経営と管理部門を扱いました。今週は、途中で止めようとした人の側から同じ構造を見ます。
※明日8/11(火)は山の日のため配信をお休みし、次は8/12(水)にお届けします。
導入
2007年6月1日ごろ、ある精密機器メーカーの係長格の社員が、社内のコンプライアンス・ヘルプラインを使った。
内容は不正の告発というより、取引先からの引き抜きへの懸念だった。重要顧客である鉄鋼メーカーから1人が転職してきており、さらにもう1人が「受注を土産に持ってくる」と話していると同僚から聞いた。このままでは顧客の信頼を失う ── そう考えて、コンプライアンス室の室長らと面談した。
同月27日、その室長は、通報者がこの社員であることを告げたうえで、通報の対象である部長から事情を聴取した。
7月3日、室長は回答メールを送る。宛先には、通報者本人のほかに、その部長と人事部長、さらに本件を知らせる必要のない者が入っていた。翌日、室長は「機密保持の約束を守らずにメールを配信してしまいました」という謝罪のメールを送っている。
同じ月、その部長は、この社員の配置転換の検討を始めた。8月27日、10月1日付の配転命令が出る。チームリーダーに就いてから半年しか経っていなかった。
この会社のヘルプライン運用規程には、こう書かれていた。通報者本人の承諾を得た場合を除き、個人が特定されうる情報を他に開示してはならない(14条2項)。ヘルプラインを利用したという事実により不利益な処遇を行ってはならない(16条)。
規程は、あった。
Q1
この事件で、裁判所が配転命令を無効と判断する決め手になった事情は、次のどれか。
1. 配転先の給与が下がったこと
2. 通報内容が、通報者を特定できる形で、人事権を持つ側へ伝わっていたこと
3. 就業規則に配転命令の根拠規定が無かったこと
4. 通報の内容が事実であると認定されたこと
正解: 2
解説: 就業規則にも労働協約にも配転の根拠規定はあった(3は誤り)。裁判所が重く見たのは、正当な通報がなされた一方で、受け取った側が守秘の規程に違反し、通報者を特定できる情報を人事権のある者へ渡していたという事実と、その直後に配転の検討が始まったという時系列である。
判断の型: 通報制度の事故は、調査の巧拙より先に「誰に伝えたか」で起きる。
誤答の罠: 4を選びたくなるが、通報内容が正しかったかどうかは決め手ではない。通報が正当な手続に沿ってなされていれば、その後の取扱いは中身の当否と切り離して評価される。
Q2
配転命令が人事権の濫用にあたるかどうかを判断する枠組みは、最高裁の判例(東亜ペイント事件)で示されている。次のうち、その判断要素として挙げられていないものはどれか。
1. 配転命令に業務上の必要性が存在するか
2. 他の不当な動機・目的をもってなされたものか
3. 労働者に通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるか
4. 労働者本人が配転に同意したか
正解: 4
解説: 枠組みは①業務上の必要性②不当な動機・目的③著しい不利益 の3点である。本件では、チームリーダー就任から半年での異動に業務上の必要性が高かったとは認め難く、さらに後続の配転で命じられた業務は顕微鏡と品質保証の勉強、月1回のテストという新入社員と同様のものだった。裁判所は一連の配転を「業務上の必要性とは無関係に、主として個人的な感情に基づき、いわば制裁的に」されたものと推認している。
判断の型: 報復かどうかは動機の告白でなく、必要性・時期・職務内容の落差という外形で認定される。
誤答の罠: 「本人が納得していれば問題ない」という発想は実務で根強い。同意の有無は要素に入っていない。通報の直後に、説明のつかない異動を出したという事実だけで推認は動く。
Q3(判断分岐)
自部門のホットラインに、ある部長の行為についての通報が入った。事実関係を確かめるには、その部長への聴取が避けられない。あなたは何を先に決めるか。
1. 通報者の同意を取ったうえで、氏名を伝えて部長に聴取する
2. 通報者を伏せたまま聴取できる質問の作り方を設計し、聴取後一定期間の当該部長による人事措置に事前チェックを掛ける
3. 部長への聴取は行わず、周辺の関係者だけから事実を集める
4. 人事部長に共有し、部長の異動を先に検討する
正解: 2
解説: 1は一見丁寧だが、同意は「断りにくい場面で取られた同意」になりやすく、同意があっても報復の可能性そのものは消えない。3は事実の精度が落ち、結局は本人聴取が必要になる。4は通報者の保護を人事の裁量に委ねることになり、順序が逆である。2は、特定されない聞き方と、特定された場合に備えた事後の歯止めを対で置く。
判断の型: 秘密は「守る」と宣言するのでなく、破れた場合の被害を止める仕組みまで含めて設計する。
誤答の罠: 実務で最も見落とされるのが後半 ── 聴取後の評価・異動・担当替えに事前チェックを掛けることである。秘密保持の手順は整えても、その後の人事は通常フローで流れていく。本件で起きたのも、そこだった。
監修者から一言
内部通報制度の整備をお手伝いすると、規程の条文や窓口の設置、受付から調査までのフロー図は、たいていよくできています。抜けやすいのは、通報から数か月後の人事です。評価も異動も別の部門の通常業務として動くので、通報があった事実と接続されないまま進んでしまう。この事件で会社側が守れなかったのは、規程に書いてある条文そのものでした。書いてあることが守られるかどうかは、書いた人ではなく、受け取った人の一日の動き方で決まります。
実務接続
今日、自社の内部通報規程を開いて、「通報者の氏名等を開示してはならない」という条文の次に、破られた場合の手当が書かれているかを確認する。書かれていなければ、それが今週足せる一項目である。
出典(段落単位)
· 東京高等裁判所 平成23年8月31日判決(労働判例1035号42頁)── 通報の時期・経緯、コンプライアンス室長が通報者名を告げて被通報者から聴取した事実、回答メールの誤送信と翌日の謝罪、第1配転命令の時期、配転命令を人事権の濫用として無効とし賞与減額分と慰謝料あわせて220万円の支払いを命じた主文、「業務上の必要性とは無関係に、主として個人的な感情に基づき、いわば制裁的に」との判断
· 東京地方裁判所 平成22年1月15日判決(判例時報2073号137頁)── 一審は請求棄却
· 最高裁判所 平成24年6月28日決定 ── 上告を退け、配転を無効とした二審判決が確定
· 最高裁判所 昭和61年7月14日判決(東亜ペイント事件・判例タイムズ606号30頁)── 配転命令権の濫用の判断枠組み
· 弁護士法人ほくと総合法律事務所「オリンパス内部通報事件控訴審判決に学ぶ(東京高等裁判所平成23年8月31日判決)」(2012年4月28日)── 事案の経過、社内ヘルプライン運用規程14条2項・16条の内容、第2・第3配転命令で命じられた業務の内容
· 本件は2016年2月に和解が成立し、通報した社員は職場に復帰している(日本経済新聞 2016年2月18日ほか)
今日の一問(返信で教えてください)
あなたの会社では、内部通報があった後、その通報者に関する人事措置(評価・異動・担当替え)に何らかのチェックが掛かりますか?
· A 掛かる(仕組みとして決まっている)
· B 掛からない(通常の人事フローで流れる)
· C 分からない
このメールに返信して、A〜Cの一文字だけ送っていただければ十分です。
このシリーズ「朝3分の分岐点」は平日毎朝、実際の事件から「判断の型」をひとつお届けします。明日8/11(火)は山の日のためお休みし、次は8/12(水)にお届けします。
PS(いつでも・何度でも): 最近、「このルール何のためだっけ」と思った瞬間はありましたか。
一行で返信いただければ、必ず読んで、お返事します。
このメールには返信できます。感想・異論・「うちの会社ではこうだった」という実例、どれも歓迎です。
水戸貴之/note『コンプライアンスの地図』
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