水戸です。

今回は、200年前の軍事理論から入りました。

クラウゼヴィッツ『戦争論』の「摩擦(friction)」です。紙上の戦争と実際の戦争を分けるもの ──
悪意でも能力不足でもなく、単純なことを極めて困難にする、無数の小さな抵抗の集積。

これは、私が普段見ている光景の説明でもありました。
規程は正しい。研修もした。それでも半年後、その通りには動いていない。
差分の正体は、意識の低さではなく摩擦です。ログイン画面が二つ、承認者が三日戻らない、様式が二版流通 ── ひとつひとつは笑うほど小さいのに、積み上がると規程の正しさは役に立たない。

同時代のモルトケが命令文書に引いた線 ──「書いてよいのは、部下が自分では判断できないことだけ」── を、そのまま規程・マニュアルの設計原則として読み直しました。ただし、細則を減らせるのは意図が共有されている組織だけ、という条件つきで。

編集後記(このレターだけの余談)

書きながら、危うく調子に乗りかけた箇所があります。モルトケの推薦で来日したドイツ人少佐メッケルが、陸軍大学校で秋山好古たちに戦術を教えた ── 『坂の上の雲』の世界です。ここまで調べると、つい「日本陸軍は任務指揮の思想を輸入していた」と一筆書きたくなる。物語として気持ちがいいからです。

でも、メッケルが持ち込んだのは参謀の運用と戦術であって、「任務指揮」という概念そのものを体系として輸入したと言える資料は、私の手元では取れませんでした。だから本文では、史実の橋は架けつつ「体系の輸入とまでは断定できない」と一行、自分にブレーキをかけています。

越境して書くときの怖さは、まさにここにあります。異分野の権威を借りると、断定が一段強くなる。気持ちよく橋を架けた瞬間に、事実からそっと足が離れる。今回いちばん時間をかけたのは、この一行のブレーキでした。

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水戸貴之/note『コンプライアンスの地図』

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